00:“彼女”は突然に

 

「ただいまー、っと」

「な……!? あ、あんたは――」

 それはあまりに突然すぎる出来事だった。予兆もなければ、当然連絡もなく、そもそも近頃は気配すら見せなかった“彼女”の来訪は、その場にいるたった二人の人物を仰天させるには充分だった。

「おお、変わってないね。重畳重畳」

 よいかなよいかな、などとからから笑いながら、“彼女”は室内を緩く見回した。窓から見える街並みは眺めがよく、空調の効いた室内は快適で、清掃も行き届いている。その眼には、呆気にとられている室内の人物は見えていないかのようだった。

 その様子を怪訝そうに見遣っていた緑髪の女性――画竜翡翠は、その眼差しを変えぬまま口を開いた。

「何年ぶりの帰還だ? 星主」

「あれ。そこまで席を外したつもりはないんだけど、…………なんて……そ、そんな睨まなくても」

 翡翠の鋭い目つきと咎めるような物言いに、星主と呼ばれたその人は苦笑いで視線を逸らした。

 星主。この世界においての惑星の統治者、ほしのあるじと称すべき地位に座する人物の役職名。その星主である“彼女”が、おおよそ二年ほど、このブロード星の管理局から行方をくらましていたのである。星主の公務は翡翠を始めとした管理局員に振り分けざるを得ず、その労働状況は決してよいものではなかった。星内の視察に始まり、星外交流の代表としての出席は当然のこと、各管理区から届く報告の整理、“兵器”と呼ばれる魔法生命体に関する問題の解決策模索、兵器討伐ギルドへの賞罰付与……など。それらの数え始めればキリがないほどの量の仕事をすべて投げ出す形で、ある日突然に姿を消し、以降消息がほぼ掴めなかった“あの”星主が、こんなにもあっさりと、それも悪びれた様子もなく、至極当然のような態度で顔を出した……ということを踏まえれば、目つきが悪く人相もいいとは言えず、普段から睨みつけるような表情をしている翡翠の眉間に、更に皺が寄るのも不自然なことではないといえる。

 気まずそうに目を泳がせている“彼女”を見かねて、デスクに座っていた金髪の女性が口を挟んだ。

「その辺りで切り上げたらどうですか、翡翠。我々が彼女にするべきなのは尋問ではありません」

「さっすが黄金、話が分かる! じゃ、早速だけどこのデータ整理お願い」

「分かりました」

「さんきゅー! いやー、助かるよ」

 “彼女”は翡翠から離れ、黄金と呼ばれた女性――北斗黄金の方へ軽い足取りで近付いていく。黄金に懐から取り出したデータチップを受け取らせた“彼女”は、またからからと笑った。

 黄金は不服そうに自分を睨んでくる翡翠の視線もお構いなしに、言葉を続けていく。

「ところで。カヅキ、貴女はこれからどうするのですか?」

「ん? ……あー」

 カヅキと呼ばれた“彼女”は目を瞬かせた。顔の輪郭に手を寄せ、思考を巡らせる。

 やがて一拍置いて頷き、少し口角を上げて答えた。

「大方済ませたから大丈夫。今日からこっちに戻るよ」

「そうですか。また行方をくらますときは、予告ぐらいはしてほしいものです」

「んー、あー、……うん、まあ。みんな手厳しいなあ。ほんと、悪かったって……」

 黄金は返事を聞き届けると、涼しげな顔を崩さぬまま、さらりと“彼女”に釘を差した。返答に困った“彼女”はぐっと詰まるものの、言葉を濁しながら半ば投げやり気味にこぼした。

 瞼を伏せて、ひとつ、息を吐く。ゆっくりと目を開いた彼女は、室内にいる二人に視線を送った。

「じゃあ早速、星主として久しぶりに仕事を出そうかな」

 天井に向けて人差し指を立てた右手を両者の前に突き出すと、“彼女”――カヅキはにっと口の端を上げて告げた。

「この世界のどこかに存在する、“世界の意思”を見つけること。この星、ひいてはこの世界のために! お願いね!」