気まぐれな雨が招く人
「雨だな」
頬杖を突きながら向かいの席に座っているトレンチコートの男が、窓の外を眺めながら呟いた。その視線の先を追う。四角い枠に切り取られた風景に映る空は青く、入道雲が泳いでいた。
雨の降るような空じゃないだろ。
そう切り返そうとしたのも束の間、窓を微かに水滴が掠った。ぱた、ぱた、ぱたぱたぱたっ。せきを切ったかのように、にわかに勢いを増す雨粒が街路を叩く。
「……こりゃ、見事なもんだな」
「今日の天気は晴れ時々雨。入道雲によるにわか雨と落雷に注意、……だぜ」
「なんだ、天気予報でも見てたのか?」
「いや。俺の独自予想」
なんだそりゃ、とつい口走ってしまった。こいつの発言にいちいち突っ込むと身がもたないのは承知の上だが。
トレンチコートの男――ガイは、返事を気にすることもなく、からりと笑った。
「こういう空が好きなんだよ。だから、降ると思ってな」
「通り雨が好きなのかお前。変わり者だな、今更だが」
「否定はしないさ。白玉のお前には負けるけどな」
「なりたくてなったわけじゃねえよ馬鹿野郎」
「はいはい」
取り合っていないのが透けて見える適当な返事を投げながら、俺の頭を撫でてきた。ええいちくしょう。
「まあ、通り雨が好きと言うよりは……通り雨が訪れた時の街並みが好きでな」
そう言ってガイが視線をまた窓の外へと向けた。
同じく外の景色を目に映す。いつの間にかざあざあ降りになっていた雨は止みそうになく、音も激しさを増している。ごろごろ、と唸る空の声が不穏だ。これはひとつ落ちるだろうか。いつ頃止むだろうか? いずれにせよ、この有り様じゃ雨が止むまでは外には出られないな。
そんなことを考えていた俺の視界の端から、トレンチコートの男が横切っていった。どう見ても店の出入口に向かっている。おい、この状態で外に出る気か? 馬鹿なのか?
待て、と引き止めるこちらの呼びかけに返事もしないで、ガイは扉の外に出てしまった。勢いを増した雨が店内に吹きこんで、ドアベルが甲高く鳴り響く。
追いかけようか。そう思い慌てて席を立とうとしたところで、すぐにあいつは戻ってきた。
「何しに外に出たんだよ、いくら好きな天気だからって」
「アレだ」
そう言いながら、ガイが窓の外を指さした。その先を目で追いかける。そこには、バーの入口の軒下に傘を差しながら佇む女性がいた。
あれは誰だ? 少なくとも、俺の知り合いじゃないことは確かだが。
「友人か?」
「いや。さっき初めて会った」
「じゃあなんで会いに行ったんだよ」
「雨が降ってたから、傘を貸しに行ったんだ」
よく見てみると、外で雨が収まるのを待っている女性が差している傘はティリエの常備している傘だ。急に雨が降った時に、返すことを前提として客が使用してもいいという無料レンタルのもの。傘の図柄として、ティリエの所在地を示す路地のマップや連絡先、住所が書かれている。
なるほど、気遣いということか。だが、しかし。
「なんで知らない奴に傘を貸すんだよ」
残された疑問を当人に投げかけると、緩く口角を上げてあいつは言った。
「彼女が傘を返すためにこの店に来て――それがきっかけでティリエを好きになってくれたら、俺が嬉しいからさ」
窓から眩しい光が差し込んできた。――雲が晴れてきたのか。雨も随分落ち着いてきている。
軒下で雨宿りをしていた女性の姿はもうなかった。